とりあえず頼まれたら何でも引き受けるタイプ。 それで得た人の縁は僕のかけがえのない財産になりました。

初の関東出張バージョンで実施された今回の取材。山口在住の森山くんが神奈川に出張に来たタイミングでアポイントをいただきました。チャーミングな笑顔と包み込むような人柄の森山くんに、猛暑の中、テラス席でビールを飲みつつ、半生を語ってもらいました。
※もちろん取材はため口で行われましたが、記事にするにあたって口調を変更しています。ご了承ください。 


森山亮一くん

八高時代は1年8組、2年4組、3年6組、帰宅部。売店のミルクココナッツのパンが大好物だった。卒業後は山口大学(理学部地質学鉱物科学科)に進学。建設コンサルタント会社に就職し、現在に至る。家族は妻と息子(大学進学で関西在住)、娘。山口在住。 


センター試験の英語を2週間で60点も伸ばした秘策とは

―高校時代の思い出は何かありますか。

そうですね、1年生のクラスでトランプが流行りました。トランプは禁止だったのですが、駄菓子屋で買った100円の紙トランプを8人が持っていて、先生に没収されてもすぐ始めてしまう。先生は「返してほしかったら、取りに来い」と言っていましたが、誰も行かない(笑)。2年生では、毎週水曜日に八幡東体育館で高校の友人とバレーボールをやっていました。運動はあまり得意ではなかったのですが楽しくて、スポーツが好きになりました。

―森山くんは、山口大学出身ですよね。受験勉強はどうでしたか。

3年の担任だった澤田先生の勧めもあって、大学でも地学を学びたいと思うようになりました。しかし、文系の僕は、微分・積分を習っていなかったので、受験できる大学が限られていました。「山口大学には、いい地学の先生がいるよ」とこれまた澤田先生のアドバイスがあって、山口大学の理学部を志望したのです。

あの頃、元旦にセンター試験の直前模試が、北九州予備校で実施されていましたよね。結果はひどかった。英語は200点満点中80点しかとれていません。中でも長文問題が致命的でした。2週間で英語の基礎力を上げるなんて不可能です。僕は、長文を訳していたからダメだったんじゃないかと考え、本番では訳さずに、notやbecauseといった接続詞を手掛かりに、暗号文として解くことにしたんです。するとなんと、本番の英語は長文が満点で、140点を取ることができました。2次試験は得意な地学のみだったので、合格することができました。

 キャラの濃いヤツばかりだった地質学鉱物科学科

―それはすごい話ですね、私も早く知っていたら…(笑)。森山くんの大学時代はどうでしたか。

僕の所属した地質学鉱物科学科、略して「地鉱」は32人の所帯でしたが、そのうち男子28人、女子4人。とてもむさくるしくて、キャラの濃い集まりでした(笑)。

シルビアに乗っていた友達がいましたが、車は常にエンプティ―ランプがついていました。踏切走行中に完全にガス欠になったときは、「車を揺らせ!」といって全員で揺らしながら進めたんですよ(笑)。 

また他のヤツの話ですが、あのころ、年間の学費が17万円弱だったのに、親に学費20万円だと偽ってもらっていたのが、妹の告発でバレたんです。するとその友達は親に「ごめん、本当は18万5000円だった」と言ったとのこと。もうかなりの詐欺師ですね(笑)。
たまり場になっている友達のアパートは窓の立て付けが悪くて、外からも開けられたんです。僕らは家主不在でも勝手に窓から上がりこんで、飲んでいました。アパートは共同風呂方式だったのですが、飲み食いしたメンツで入りましたね。あとでそいつ、大家さんに「お友達はお風呂に入れないで」怒られそうです。地鉱メンバーはやりたい放題でした(笑)。

―楽しそうな大学時代を過ごしたのですね。他に打ち込んだものはありますか。

アルバイトも想い出の一つです。チェーンの和風レストランで大学生活に匹敵する3年半働きました。夏休みは20万円以上稼ぎましたね。学んだことも多く、忙しいときの仕事のさばき方や、パートのおばさまたちと上手くやっていく手法を身につけました。平日は18:00~23:00までバイトして、その後、店長や他のスタッフと仕事を熱く語って、2:00からカラオケに行くという毎日を送っていました。

大学の方では、進級論文の地質調査のため熊本に行きました。露頭しているところを調査して、見えていない箇所の岩種を類推して、地質図を作っていくのです。卒論もありましたから、一応はちゃんとやりましたよ。

大手の内定辞退後、紆余曲折あって、社長1名の会社に就職

―森山くんの就職活動はどうでしたか。

実は割と大きい建設コンサルタント会社から内定を頂きました。だけど、何かしっくりこなくて内定を辞退したのです。

大学を卒業して、公務員を志しました。でも、何もしないわけにはいかない。僕は郵便局や文具店でアルバイトをしながら勉強して、公務員試験を受けました。しかし、結果はNGでした。 

結局は公務員をあきらめて、就職することにしました。バイト先の方の知り合いの会社などで、募集している会社がいくつか見つかりました。その中で、1人でやっている会社があったんです。これはおもしろそう!と感じて、面接を受けたところ、「すぐにでも来て!」ということで、卒業した年の年末に就職。僕が社員第一号で、今でもその会社で働いています。

―就職先に1人の会社を選ぶところが、森山くんらしいですね。

そうですね、大学時代の知識も活かせるし、大きな組織の一員より楽しいかなって(笑)。入ってみるとお手伝いの女性がいて「社長の奥様かな」と思っていました。実は彼女が後に僕の奥さんになるのです。この会社に入ったことでいろんな意味で人生が変わったことになります。

僕は地すべりが起きないように斜面の対策の設計を担当していますが、社会的意義の大きな仕事だと感じています。地すべりの可能性がある斜面に民家や道路があると非常に危険ですので、急いで対策をしなければなりません。また、土砂崩れが起こった現場は、まだ崩れていない部分がえぐれて、崖のようになっているので、二次災害の危険があります。これ以上、被害が広がらないように対策をするのも重要です。

―人々の安全を守る大切なお仕事なのですね。難しさなどありますか。

そうですね、設計の対象が建造物ではなく、山の斜面なので、でこぼこしていて、数量通りにはいきません。現場で臨機応変に対応するというのが、当たり前なのですが、なかなか先方の担当者に理解していただけないこともあります。
僕は、この仕事を20年以上やっていますが、崩れる場面には1度しか遭遇したことがありません。今は、山が多くて人も多い横浜の仕事が増えていて、かなりの頻度で関東に出張できています。 

PTA会長を引き受けたことが、いろんな縁につながっている

―先ほど奥さまの話がでましたが、森山君はいつ頃、結婚したのですか。

先ほどお話しした女性と、社長の紹介で会うようになり、24歳で結婚しました。27歳で長男が生まれ、2年後に長女が生まれました。上の子が産まれる前に奥さんの実家に引っ越して、僕はマスオさん生活を送っています。現在、息子と娘はそれぞれ20歳と18歳。上の息子は大学生で、今は奈良にいますよ。

―お子さんがいるといろんなお付き合いもあるでしょうね。

実は僕、PTA会長を務めたこともあります。最初のきっかけは長男が小1のときに、奥さんの友達の旦那さんから「一緒にクラス委員やりましょう!」と誘われたこと。事情があってその旦那さんはクラス委員を辞めることになり、僕1人で保護者クラスマッチを企画・実行することになりました。すると、それを見ていたPTAの本部の方から「PTAの副会長をお願いできませんか」と依頼がありました。僕は流されるというか、受け入れるというか、まあやってみるかと思うタイプなので、お引き受けしました。副会長を2年やって、その後、PTA会長を5~6年、務めました。

保護者のもちつき大会やソフトボール大会などの企画を通じて、知らなかったお父さんたちと仲良くなりましてね、これは楽しいなと思いました。子供が中学に入っても副会長や会長を担当し、とうとう市の役員会にもでるようになりました。一緒に温泉に行くような仲間も増えましたし、嫌がらずに引き受けたことで人の輪が広がって、人生が豊かになりました。

ランニングチームに所属し、各マラソン大会にも出場

―PTA会長は、重責の役職だと思うのですが、さらりと受けちゃう森山くん、さすがです。ところでマラソンにもハマっているそうですね。

もともとは痩せようと思って走り始めました。最初は500mでゼイゼイして、しばらくは4kmが遠かったです。娘の同級生である現役自衛官のお母さんが「ハーフは誰でも走れる」というので、萩マラソンにエントリーしましたが、自分のペースが分からず、散々でした。それからさまざまな大会に参加するようになり、今はGMRCというミズノのランニングチームに所属して、仲間と一緒に走っています。

初フルマラソンとなる北九州マラソンに参加したときのことですが、「ガッツポーズでゴール!」と思った瞬間に足がつっちゃって。恥ずかしながら車いすでゴールインしました(笑)。

―超アクティブですね。森山くんは誠鏡会の本部でも広報委員を担当していますよね。

僕はPTAもそうですし、とりあえずやってみようという主義で引き受けています。やって見たらすごくおもしろかったし、もし、引き受けなかったら損をしていたなとも思います。だから、誠鏡会も「絶対、運営から関わった方がおもろいやろ!」とすぐに首を突っ込みました。

「やってみたいけど、大変だったらどうしよう」と迷っている方は、ぜひ一緒にやってみましょう。自分のできる範囲で構わないから、ちょっとでも参加してくれたらうれしいです。それとは関係なく、同級生みんなで楽しく集まれたら、うれしいですね。

―今日は森山くんの受容力・適応力の高さを感じ、楽しくお話を聞くことができました。ありがとうございます。 

(取材日2018年6月30日/日比谷にて) 

 取材/松岡佳子、福山智子

写真/松岡佳子

文/福山智子 

福岡県立八幡高校42期同期会―1990年3月卒業ー

福岡県立八幡高校を1990年3月に卒業した同級生のためのWEBサイト。2019年から2024年まで5年に渡って私たちの学年が八幡高校のOB総会である誠鏡会の幹事を務めます。2019年11月は北九州開催、2020年8月は東京開催…と私たちの幹事年は続きます。先輩たちは「幹事に参加するのは本当に嫌だったんだけど、本当に楽しかった」と。多くの同級生とつながることを願っています。

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