人とおしゃべりするのが大好き。 いろんな人と出会い、話すのが、うれしいですね。
今回は、高校時代から、とってもオシャレで、いつでもマシンガントーク(笑)のキュートな原美穂ちゃんです。取材中も笑いあり、涙あり、止まらないおしゃべりでしたが、時折深い話も…。原美穂ちゃんの人間的な魅力を存分に感じました。台風が近づいている中、ちゃっかりご自宅におじゃましてきました。
※もちろん取材はため口で行われましたが、記事にするにあたって口調を変更しています。ご了承ください。
原美穂
八高時代は1年6組、2年8組、3年9組、茶華道部、美術部。東京都立大学(現首都大学東京)に進学。大学時代から社会人にかけて世界中を旅行。現在は、財団法人で働いている。2001年に中国人の男性と国際結婚し、2歳の息子がいる。東京在住。
本を読んでばかりで、勉強はあきれるほどしませんでした
―原ちゃんの高校時代の思い出って何かありますか。
中学時代はバスケ部でしたが、スパルタで上下関係も激しかったので、部活にはいいイメージがなく、しばらく帰宅部でした。1年のときの同じクラスの友達が茶道部、華道部、美術部を掛け持ちしていて、話を聞いているうちに、全部入部していました(笑)。
放課後におなかが空いて、茶道部の部室に友達と忍び込んでお茶菓子を食べちゃったりしていましたね。美術部はいい意味で変わった人が多くて、部活動にはあまり参加しなかったですが、みんなで遊びに行くときはかなりの出席率でしたよ。そうそう、文化祭前に油絵を描いていたのですが、次の日、私の絵が全部塗り替えられてまったく違う絵になっていたんです。美術部顧問の木原先生が、たまに夜のうちに部員の絵を描き替えるんですって(笑)。
本はめちゃくちゃ読みましたね。八高の図書室のあの雰囲気が大好きだったなぁ。欲しい本をリクエストカードに書くとほとんど買ってもらえましたし、図書室行くと「原さん、あの本入ったよ」と司書さんが教えてくれるなどパラダイスでした。特に影響を受けたのが、妹尾河童の「河童が覗いたインド」などの「河童が覗いた~」シリーズ。「私、世界中を旅する女になるわ!」と周囲にも豪語していました。
勉強は、まあ、ひどかったです。1年のときの為近先生の物理分野のテストで0点をとりました。なかなか集中力が続かず、ほとんどの授業はぼーっとしているか、寝てるかのどちらかでした。唯一、数学の石川先生は教え方もうまくて、チャーミングでしたので、なんとか宿題も頑張りましたが、他は…あはは。追試も多かったので「原が追試を全部受けられるように」と、私の他の追試とかぶらないように追試スケジュールが組まれたほどです。
―勉強しなかった話は私も耳が痛いです…。高校卒業後はどうしていましたか。
卒業後は浪人突入です。小倉にオープンしたばかりの河合塾に入学したのですが、本当に楽しくて仕方なかった。この予備校時代の友達とは、後に世界中を旅することになります。まあ遊んでばかりでしたが、最後の数ヶ月は本気で受験勉強しましたよ。私は私立志望で3教科のみでしたから、攻略はしやすかったと思います。
親の猛反対を押し切って東京へ進学。
父や母の気持ちを思うと今も涙がでます。
―原ちゃんは東京都立大学に進学しましたよね。
そうですね。私立大学しか見てなかったのですが、部活を誘ってくれた友人が「文系3教科で受けられる国公立大学があるよ、私も受けるよ」と教えてくれて、一緒に受験しました。西南大学にも受かっていたのですが、東京にどうしても行きたくなったんです。
親には猛反対されました。私や弟を溺愛していましたので、遠くにやりたくなかったのでしょう。「地元の大学に受かったのになんで東京にいくんね!」と激しい親子ゲンカになり、生まれて初めて父に平手打ちもされました。でも「ここで親の言うことを聞いて、この先の人生で嫌なことがあると絶対親のせいにする。だから自分の意志を貫こう」と、私はすべての大学の入学手続きの書類を持って家出。1人暮らしをしている友人宅に泊めてもらいました。娘の行方が分からず、憔悴した母は「どこに美穂がおるか知らん?」と私の友達に泣きながら電話をしていたようです。今思うと親不孝で涙がでます。ようやく許しが出て、東京行の新幹線を待つ小倉のホームで母と号泣したことは忘れられません。
世界中を旅した20代、30代
―進学まで大変だったのですね…。大学生活はどうでしたか。
高校時代の宣言通りに、世界中を旅した大学生でした。アジアやヨーロッパ、北南米、アフリカ、オセアニアなど50~60ヵ国ぐらいは行ったのではないでしょうか。
印象に残っているのは、シチリア島ですね。途中から友達と合流する予定だったので、その時は完全にひとり旅。なのにバイクにはねられて、後続のバイクにもはねられました。『事故にあったときは大騒ぎをした方がいい』と林真理子の本に書いていたのを思い出し、痛いっ!って大げさに騒いだんです。すると警察の人が病院に連れていってくれて。検査も受けましたが、なんともなかった。私、身体だけは丈夫で、骨密度も高いの。でも脚が痛くて歩くのがやっとだった私を不憫に思ったらしく、警察官がパトカーでいろんな観光地に連れて行ってくれました。宿の女将さんは私の帰りが遅いので心配して気をもんでいたらしく、すっごく怒られましたが、その女将さんが窓を開けて何か叫んだ数分後、焼きたてのピザと果物が私に届けられました。
現地の人と仲良くなったり、旅先で知り合った人と意気投合してグループで旅したり、これが旅の醍醐味だと思っています。私はとにかく人とおしゃべりすることが大好き。いろんな人と出会って、いろいろと話せることが、うれしいですね。
楽しい職場ばかり、本当に恵まれています
―旅行三昧の日々、うらやましいですね。大学卒業後はどうしましたか。
就職氷河期だったのと、旅人生にハマっていたのとで、フリーターでもいいかなぁって、派遣会社に登録しました。最初の勤務先の上司は外国人で長期休暇に理解があり、休みやすかったので、1年の1/4~1/3は海外に行くような生活をしていて、結婚してからも同じように旅していました。
その勤務先には10年いました。職場の人ともすごく仲良くて、飲みに行ったり、いろんな話をしたり。もうずっとここで働くのだと思っていたので、部署解散になったときはとてもショックでしたね…。
次はテクニカルサポートを担当している会社に配属されましたが、筋金入りのオタク揃い(笑)。1日目でハラポニョと呼ばれましたし、くしゃみをしたら「ピカチュウ!」と言われました。「鈴木氏」「佐藤氏」など、氏をつけて会話するのも初めて聞きました。上司は社内でスキップしてるし、おもしろかったのですが、ここも部署解散に。
今の勤務先は産育休をはさんで5年になります。財団法人なのでガツガツしてなくて、5時ピッタリに終わるし、とても居心地がいいんです。企業の資格取得の審査をしている組織ですが、その審査を担当しているのは、70代のおじいちゃんが中心。40代、50代なんて超若手で、中には80代の審査員もいます。みなさん全国を飛び回ってて、アグレッシブです。歳をとってもこうありたいですね。
国際結婚と超高齢出産
―原ちゃんは国際結婚ですよね。
旦那は上海出身の中国人です。日本で出会いました。当然のように両親は「国際結婚なんて!」と猛反対したのですが、実際会ってみると嘘みたいに彼を気に入ってくれて、2001年に入籍し、2003年に上海で結婚式を挙げました。
上海の式場との打合せは本当に大変で、コーヒーは出せないだの、北京ダックを出したいと言ったら、空輸が必要だから超高額になるだの、旦那がしょっちゅうキレていましたね。ちょうど中国のSARS大流行が大きなニュースになって、私の親戚にも続々と結婚式をキャンセルされました。どうなるかと思いましたが、私の友人は全員来てくれてありがたかったです。日本人の招待客には披露宴は18:00からと伝えて、中国人には17:00からと伝えて、どちらも17:30ぐらいに揃いました(笑)。お国柄ですね。
―息子さんはとってもかわいいですね。出産、子育てはどうですか。
私、44歳で出産しましたが、検診のたびに「原さんは、超!高齢出産ですからね」と連呼されていました。妊娠中は体重が増えちゃって、新宿の職場から皇居まで毎日2時間ぐらい歩いていました。でも脅かされた割にとても安産でしたよ。
息子はやっぱり可愛いですね。成長はうれしいのですが、赤ちゃんっぽさが抜けていくのはすごく淋しい。今をじっくり味わいたいです。何とか強く生き抜く力をつけて欲しいと考えていますが、どう育てていくのが正しいのかは分からないし、試行錯誤ですね。
バレエにハマって、1日にレッスン掛け持ちしました
―原ちゃんが没頭しているものってありますか。
B型だからハマりやすいんです。一時期、バレエは1日にレッスンを3つ掛け持ちしていたことがあります。きっかけは29歳のとき、ジムのバレエレッスンに参加したことでした。旦那はバレエ漬けの私に最初は怒っていましたが、「そんなに打ち込めるものがあってうらやましいよ」としまいにはあきれていました。バレエ仲間とは飲みに行ったり、楽しいです。
フラメンコもやっていますが、フラメンコメンバーはとにかくお酒を飲むんです。私はお酒でつぶれることはないのですが、フラメンコ飲み会では何度かつぶれています…。踊りも好きだし、そこで新たな人間関係が生まれるのもいいんですよね。
―アクティブで人生を謳歌している原ちゃん、ステキですね。では最後に同級生へのメッセージをお願いします。
高校が同じだといっても500人中、話したことある同級生はほんの一部ですよね。でも、話したことがなくても、同じ北九州エリアで育って、同じ高校に通ったというバックボーンが一緒って、大きい。30年のときを経て、同級生に会って、いろんな話をしながらお酒を飲むのが楽しみで仕方がないです。
―今日はご自宅にお邪魔させていただき、ありがとうございました。
(取材日2018年9月30日/原美穂さんのご自宅にて)
取材/松岡佳子、福山智子
写真/松岡佳子
文/福山智子
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