どうも優しすぎるのかな。だって部下から「クッシー」って呼ばれてるし。

記念すべき第1回の「Closeup同級生」に登場してくれるのは、優しい笑顔が印象的な串岡くん、クッシーです。11月に新宿でプチ同窓会があり、取材をお願いしたところ快く引き受けてくれました。東京駅近くのレストランにて、ビールを片手に、高校卒業してから今までの経歴やお仕事のこと、プライベートなどを伺ってきました。

※もちろん取材はため口で行われましたが、記事にするにあたって口調を変更しています。ご了承ください。


串岡洋くん

八高時代は1年3組、2年1組、3年1組で過ごす。高校卒業後、九州工業大学を経て、北九州で通信機器製造会社に就職。8年後、千葉に本拠を置く同業会社に転職。家族は妻と小2の息子、千葉市在住。



ITバブルをきっかけに、転職を決意

―串岡くんは、九州工業大学出身ですよね。就職で関東にきたんですか?

実は大学卒業後、地元の北九州で就職しました。1994年のことです。光ファイバー関連の機器を作っているメーカーで生産技術スタッフとして働いていました。2000年のITバブルまで業績は右肩上がりで、ものすっごく忙しかったんです。千葉にある親会社に応援に行くために、北九州と千葉を結構な頻度で往復するほどでした。

だけど知っての通り、2002年にITバブルが崩壊します。会社が希望退職を募ったのがきっかけで、自分の将来を見据えて、退職することを決意しました。

―退職したときには、もちろん転職先は決まっていたんですよね。

いえいえ、1ヶ月間は完全な失業者でした。その前の2ヶ月ぐらいはあまり出社していなかったので、かなり長い間仕事をしてなかったことになります(笑)。どうやって次の会社を決めようかな…という状況でした。ただ、僕が新卒で入社した時に仕事のイロハを教えてくれた先輩が、ずっと誘ってくれていました。結局はその厚意にこたえる形で、今の会社に転職しました。余談ですが、この先輩はうちの会社の社長になっちゃいました。

最初に就職した会社から見ると、今の会社は納入先であり、親会社が同じグループ企業。事業内容もほとんど同じですので、今までのスキルがそのまま活かせています。

生産技術はなんでも担当する「便利屋さん」

―縁があって、今の会社に巡り合ったのですね。串岡くんは今、どんな仕事をしているか教えてください。

前職と変わらず「生産技術」に携わっています。生産技術とは、製造工程で生産性を上げるための仕事のことです。具体的には、製造上のマニュアルを作成したり、手作業部分をなるべく自動化したり、コストダウンを意識して、製造ラインの改善を行ったりします。

ただ、生産技術はモノづくりの「便利屋」と呼ばれるぐらい、あらゆる仕事を担っています。新製品の図面も書きますし、業者さんとの打ち合わせも担当。量産体制を作り上げたら、お客様周りをすることもあります。一般的な言い方をすると、上流から下流まで一貫して携わってる、ということですね。

―図面を書くという話がでましたが、串岡くんの会社ではどんな製品を作っているんですか。

細かく分けると製品は1万点ぐらいあります(笑)。ただ、大きく分けると3つですね。一つ目が通信上のエラーを検知するための「システム系」製品。二つ目が、光ケーブルをつなぐための「コネクタ」製品。三つ目が「コネクタの精密部品」であるプラスチック成型です。

僕の専門は二つ目の「コネクタ関連」です。僕が設計したコネクタが採用されて、フレッツ光を利用しているご家庭に設置されていました。よりコストダウンと使いやすさを追求した製品ですが、広く使われ、とてもうれしかったのを覚えています。

ただ、国内市場はすでに通信網がくまなく整備され、飽和状態にあります。そこで今、会社が力を入れているのが三つ目の「コネクタの精密部品」。光ファイバの直径は125ミクロンで、光が通る部分はその中心の約5ミクロンで細い。だから光ケーブルの接合部分でわずかでもずれると通信が途絶えてしまいます。うちの会社は世界でトップレベルの精密さを武器に、海外市場を狙っています。今は中国がもっとも有望なマーケットで、続いてアジア各国ですね。僕も今は千葉に住んでいますが、海外赴任している同僚が戻ってきたら、タイへ赴任するかもしれません。

―名刺を見ると、串岡くんは課長さんということですね。とっても優しそうだし、絶対怒らなそうですが、どんなマネージャーなんですか?

確かに誰に対しても怒らないかもしれません。僕自身は社長にしょっちゅう怒られていますがね。怒られすぎて、ある意味スル―スキルが身に付きました(笑)。今は6人のメンバーを見ていますが、僕が人に対して優しすぎるからか、部下から「クッシー」って呼ばれてます…。「クッシー、それやっといてやるよー」といった具合に、メンバーにサポートされるマネージャーですね。

僕が唯一、本気で怒るのは息子に対してだけかもしれません。

小2の息子とポケモンGOのイベントへ

―息子さんは小学2年生ですよね。串岡君のSNSのプロフィール画像も息子さんとツーショットなのを見てほほえましく思いました。子供ができて自分の中に何か変化はありましたか。

うーん、そうですね。早く家に帰りたいと思うようになりました。仕事はもちろん大事だけど、家族も本当に大切だなって。休日しか息子と遊んであげられないので、なるべく一緒に過ごすようにしています。最近ハマっているのは、ポケモンGO。去年の大ブームのときに始めたのではなく、一年遅れの今年の夏からです(笑)。レアキャラ情報が手に入るアプリがあって、息子が「お父さん、〇〇にレアキャラでるってよ!」って教えてくれるんです。それで息子と二人で遠くまででかけたりしています。一度、横浜でレアキャライベントがあったのですが、ものすごい人で驚きました。

―ポケモンGO以外にも最近ハマっているものがあると聞いていますが。

ええ、2年前からバトミントンにハマっています。バトミントンは全くの初心者で、もともと運動不足解消のために始めたのですが、すごく楽しいです。毎週水曜日、仕事のあとに、地域の人や会社関係の人と1時間40分ほどハードに打ち込みあいします。終わったころにはかなりへとへと。ここにも息子を連れて行って、空いたスペースでバトミントンを一緒にやったりします。

パンツで授業を受けていた男クラ時代と北九州

―話はまったく変わりますが、高校時代の思い出って何かありますか。

僕は2年と3年の2年間が男クラ。あの隔離教室で過ごしました。気楽で楽しかったですね。女子の目がないのでやりたい放題。夏は「暑い!」と、制服のズボンを脱いでパンツ姿で授業を受けていましたね。かなりの人数がパンツになっていました(笑)。

昼休みになると、ほぼ毎日プールと校舎の間で野球していました。投げる人、打つ人、内野を守る人の3人に分かれて、随分と熱中していましたね。

八高の自動販売機で好きだったのは、名前がどうしても思い出せないけれど、紙コップででてくる白くて暖かい甘い飲み物です。記憶の中では温かいカルピスのような味でした。

―男クラならではのエピソードですね(笑)。ところで、北九州には帰省していますか。

全然帰っていませんね、昨年7年ぶりに帰省しました。結婚して、子供が生まれてからはなかなか帰るのが大変になっちゃって。でも、両親がときどき旅行がてら関東に遊びにきてくれますから、助かっています。うちの両親はどうやらお金をがっちり貯めていたようで、ヨーロッパ旅行に1ヶ月とか行っちゃうんです。最近はフィンランドとエストニアに滞在していたそうです。そんな両親だから、つい帰省しなきゃという気持ちを先延ばしにしているのかもしれません。

北九州の友人にも僕の結婚式の以来は会ってないですしね。

そういえば、最近急に高校の同級生の集まりって増えた気がします。先日の新宿飲み会もそうですし、今度のお正月に地元で開催される同窓会もあるそうですしね。

―それは2年後の誠鏡会の幹事年を視野に入れて同級生のネットワークをつなごうとしているからですね。この記事もその一環です。

そうなんですね。誠鏡会と言われても、あまり実感はありませんが、その時、海外に赴任していなければ、お手伝いしますね。

―串岡くんと一緒に幹事できるのを楽しみにしていますよ。高校時代にはほとんどしゃべったことのなかった3人がこうしてあっていろんな話をしているのは不思議でおもしろいですね。今日は貴重な日曜日に東京まででてきていただいてありがとうございました。

いえいえ、こちらこそ、今日はいつもと違う休日を過ごすことができ、楽しかったです。

(取材日2017年12月17日/東京駅丸の内口にて)

取材/松岡佳子・福山智子

写真/松岡佳子

文/福山智子

福岡県立八幡高校42期同期会―1990年3月卒業ー

福岡県立八幡高校を1990年3月に卒業した同級生のためのWEBサイト。2019年から2024年まで5年に渡って私たちの学年が八幡高校のOB総会である誠鏡会の幹事を務めます。2019年11月は北九州開催、2020年8月は東京開催…と私たちの幹事年は続きます。先輩たちは「幹事に参加するのは本当に嫌だったんだけど、本当に楽しかった」と。多くの同級生とつながることを願っています。

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