病気と共存して、 周りの幸せが、自分の幸せなのだと気づきました
今回の取材は、とても同級生に見えないほど若い、池松康弘くんです。変わらず整った顔立ちの池松くんは、今も音楽活動を続けていました。今回は窓から新緑が見える心地よいカフェで池松君の半生に迫ります。
※もちろん取材はため口で行われましたが、記事にするにあたって口調を変更しています。ご了承ください。
池松康弘くん
(現在は渡邉康弘くん)八高時代は1年2組、2年8組、3年8組。フォーク同好会でギターを担当。卒業後は一浪して成蹊大学(文学部英米学科)に進学。雑誌・書籍の制作を行う編集プロダクションに就職する。2008年派遣の道を選び現在に至る。実妹の結婚により、3年8組の横尾くんとは義兄弟。妻と2人暮らし、東京都在住。
憧れだったバンド活動、念願叶って本当に楽しかった
―池松くんの高校時代はどうでしたか。
うーん、さえない高校生でした。勉強に関しては、英語は得意でしたが、国語、社会は平均。理系科目に関してはまったくダメでした。理科Ⅰの物理では衝撃的な点数をとりました(笑)。昔から算数・理科が苦手だったので、筋金入りの理系恐怖症。運動もできないし、内向的だったし、まったく目立たないタイプでしたね。
高校時代で楽しかったのは、やっぱりフォーク同好会です。中学の時からバンドがやりたくて仕方がなかった。アルフィーの高見沢さんに憧れて、エレキも買っていました。八高に入って、これでバンドがやれるとわくわくしていました。あくまで同好会で、正式な部活ではなかったので、先生たちは眉をひそめていましたが、部室で練習をした放課後はとても充実していました。文化祭でステージに立てたときは、胸がいっぱいになるほどうれしかったのを覚えています。
空き缶アート制作は鮮烈な記憶として残っている
―他にも、印象に残っている思い出はありますか。
3年8組で取り組んだ文化祭の「空き缶アート」もとてもいい思い出です。4月には空き缶アートを手掛けることが決まっていたのに、まったく進まず、気づいたら残り3週間を切ってしまいました。横尾くんが「みんな、このままじゃ、絶対完成しないよ!」とキレたんです。これが俗にいう『横尾の中学生日記事件』(笑)。これがきっかけでやっと動き出しました。美術部の河野くんが原画を担当して、コンピューターが得意の松下くんが、何色の缶がいくつ必要で、どう繋いでいけばいいかを割り出してくれました。
そこからようやく、本腰を入れて空き缶集めです。担任の上掛先生が大谷体育館に掛け合ってくれて、大量の空き缶を仕入れてくれました。きれいに洗って、ひもでつないで…。遅くまで残ってみんなで作業しましたが、文化祭の1日目には間に合わず、2日目の朝にようやく完成。クラスが同じ目的に向かって、ひとつになって取り組んだことは、青春らしい体験でした。
―担任の上掛先生は、印象に残る先生でしたよね。
確かに熱い先生でしたね。空き缶アート制作は上掛先生も一緒になってやってくれました。文化祭が終わっても、しばらく飾っておこうという意見があったのですが、先生は「こういうのは、ぱっと散るから美しいんや」とたった1日の展示で解体。クラスメイトの中には部活の試合で実物を見ていない人もいたので、とても複雑でしたが、大人になった今は上掛先生の美学がよくわかります。
上掛先生からは、人生を支える言葉を伝えたいという意思を常に感じていました。クラス文集のタイトルは「へっちゃら」。人生にはいろいろあるけどへっちゃら精神で乗り切れという先生からのエールでした。「お前ら、赤点とっても『へっちゃら』ちゅうことじゃないぞ」ともいっていましたね(笑)
夢だった音楽関連の編集の仕事と挫折
―高校卒業後はどうしたのですか。
高校の僕の夢は、音楽関係の雑誌の編集者になることでした。編集の仕事に就くために東京の大学行こうと考え、一浪後、成蹊大学へ入学しました。編集者への強い気持ちはあったものの、努力の仕方も分からず、何となく大学時代を過ごしてしまいました。
就職活動で現実の厳しさを思い知りました。1995年卒はバブル崩壊後の超就職氷河期。音楽関係の編集はパイ自体が小さく、新卒で採用しているところはほとんどありません。なんの武器もない僕は完敗でした。就職先が決まらないまま大学を卒業して、ここから僕のしくじり先生が始まるわけです(笑)。
―しくじり先生…ということは、いろいろなことがあったのですね。
目指す会社に入れなかったのですから、北九州に戻るという道もありました。「編集がやりたいから、東京に進学したい」という僕を応援してくれた親には申し訳なかった。ただ、僕はどうしても夢をあきらめられませんでした。何とかハローワークを通じて、アルバイトで編集の下積みを始めました。その後、音楽関係ではないけれど、雑誌や書籍を手掛けている編集プロダクションに就職し、憧れの編集者としてのキャリアがスタートしました。
編集プロダクションは、いわば出版社や広告代理店の下請け。クライアントの企画を元に、実際に誌面作りをする役割です。僕は取材やライティング(文章書き)、ページタイトル決め、校正、デザイン会社への発注などを担当。撮影の経費を削減するために、簡単な撮影は自分たちでやっていましたね。ただ、クライアントと編集プロダクションはまさしく主従関係であり、作ったものをクライアントからこっぴどく否定されることもしょっちゅう。精神的に過酷でした。労働時間も長かったので、人の入れ替わりは激しかったですね。僕は編集の仕事が好きだったから、続けられたのだと思います。
しかし、出版不況の波がうちの会社にも迫っていて、気づくと、会社は僕と社長の2人だけになっていました。そして2006年に突然、勤務先が倒産。当時、僕は結婚していたので、呆然としました。未払いの給料もありましたしね。驚いたのは、退職理由が「会社都合」ではなく「自己都合」とされていたことです。小さな会社だったので、これも仕方がないのかもしれないのですが、やりきれない気持ちでした。
―それは大変でしたね。転職先は見つかりましたか。
編集を続けたかったので、教育テキストを作っている出版社に転職しました。が、連日終電で、土日も関係なくて、休みも一切なく働きづくめでした。さらには、社長はワンマンで、人前で怒鳴ったりする人だったんです。社長のパワハラと過重労働で、僕は1年も経たないうちに心のバランスを崩してしまいました。
心療内科を受診すると、鬱・パニック障害がでているといわれたんです。職場に相談したところ「これからは残業はしなくていいよ」と言っていただきました。労働時間は短くなりましたが、仕事内容も社長も変わらないので、よくはならなかった。僕が残業をしない分は、ほかの社員がしわ寄せを受けていたのです。ある日、上司から別室に呼ばれて「いつまで楽をする気だ」と責められました。
僕は会社に必死でしがみついていました。足をケガしたときも松葉杖で通っていましたし、体調が悪くても、出社しなきゃと強迫観念すらありました。でも2008年に戦力外通告のような形で退職。編集者としての自分にピリオドを打つことにしました。
周りの人の幸せがうれしい
―そうだったんですね…。
今、僕は派遣社員として働いています。前職を退職した後、主治医のカウンセリングを経て派遣会社に登録して以来、いくつか派遣先を変えながら働き続けています。毎回、契約を更新する有期雇用ですし、雇止めのリスクを背負ったままの生活です。派遣の自分には名刺もありません。周りの人と比べて、社員じゃない自分を恥ずかしいと思ってきました。最近ですね、ようやく自分の生き方を受け入れられるようになったのは。奥さんの応援も僕にとっては大きいです。
―奥さまの応援は心強いですね。ステキな方ですね。
もしかしたら、奥さんなりに思うことはあったのかもしれませんが、僕の前では不平不満は一切言ったことはないです。奥さんには感謝しかありません。奥さんや友達の支えがあったからこそ、今があります。病気をしてからは『自分の幸せは何だろう』と自問自答してきました。今の僕の結論は『周りの人の幸せが、自分の幸せ』だということ。体調が悪いと自分の中で、自己肯定と自己否定がせめぎあいます。負のスパイラルに陥ったときに引き上げてくれるのは、やっぱり周りの笑顔なんです。
それからは丁寧な人づきあいを心がけています。思いやりを持って接して、困っている人がいればフォローをするようになりました。これは編集時代の僕からは大きな変化です。飲み会の幹事も、昔だったら絶対やらなかったけれど、楽しんでもらえるならと引き受けています。音楽もそう。自分だけが楽しくてもつまらない。バンドの仲間も、お客さんも、一緒に楽しんでくれることが、心の充足感につながっています。
大学を卒業して、会社に勤め、家庭を持って…という一般的なレールからは外れたけど、気づいたこともたくさんあります。これはこれで、良かったのかもしれません。
―今の池松くんはとてもいい感じですね。最後に同級生へのメッセージをお願いします。
僕ら42期は、もうすぐ地元も関東も当番期を迎えます。当番期の間はもちろん、終わった後も交流が続いているといいですね。仕事や家庭、子育てなど事情はそれぞれ違うと思うので、みんなが無理をせずに、できる範囲で関わっていけるシステムにしたい。特定の人だけに偏ると、一部の人だけが辛くなるから、たくさんの人で仕事をシェアして、わいわいと当番期を楽しみたいです。
―今日はいろんな深いお話を聞けて良かったです。お忙しいところありがとうございました。
(取材日2018年4月28日/中野にて)
取材/松岡佳子、福山智子
写真/松岡佳子(ギターを弾いている写真は池松くん提供)
文/福山智子
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2019.01.02 05:30